わーい!
私の書いた『機動戦士Zガンダム論 混沌と葛藤、境界線の哲学』にコメントくださった方がいたので、今日はちょっとこのネタで。

TV版を踏まえて、映画版の変更をどう解釈したかということを書きます。

いきなりラストだけネタバレしますので、未見の方は読まないでください。


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富野監督は、カミーユを精神崩壊させたことを後悔するような発言をよくされていましたので、それで『ΖΖ』ではカミーユの回復を描いたのではないかと思っていました。

そして新たに映画化する時、今なら前向きな作品にできると確信して手掛けたようなことも仰っていました。

どうなっちゃうの?と楽しみに三部作を拝見すると、精神崩壊はなく、殉教物語ではなくなりました。

ならば、ラストの理屈はどうなるのかと考えないと、個人的とはいえ、私の解釈が崩壊するので、再考してみました。

TV版Ζガンダム論では、カミーユが女性原理、シロッコが男性原理として描かれ、この対立概念が止揚されて両方が滅したのではと書きました。

映画版では…

カミーユは、シロッコに対し「女のところへ帰れ!」と、女性原理の欠落を指摘します。
そしてカミーユ自身は生きて触れる現実の女、ファのところへ帰りました。

カミーユは成長して大人の男として対決に臨み、立ちはだかる父性としてのシロッコを倒したということでしょう。

それを支えるエピソードの意味としては、基本的に同じだと思いました。

あとついでに一つ。
カミーユが「はあああ!!」と息を吐いて精神崩壊をしないシーンがありますよね。

新ヱヴァに先駆け、TV版の展開を知っている観客に向けて、ストーリーラインをはずす瞬間の溜めを演出していて良かったです。

宣伝で「誰も見たことのないラスト!」とか煽り過ぎた感はありますけども。

しかし、全編を通してそれぞれのクライマックスへ持っていくグルーヴ感は、音楽とあいまって見事です。

富野ガンダムまた観たいです。