『機動戦士Zガンダム』TV版の解釈。

目次
■はじめに
■符丁 ■神 ■「縁起」と「中道」
■覚者 ■執着 ■五蘊
■一切 ■空 ■解脱
■涅槃
■はじめに

『機動戦士Zガンダム』は複雑な構造を持つ混沌とした物語である。相反する二つの主張が幾つも現れ、それぞれが絡み合い、葛藤しながら物語は進んで行く。男と女、理性と感情、大人と子供、個と全体。おのおのが真実と誤謬を含んでいる為に、キャラクター達は相容れない価値観の間を揺れ動き、どうしようもなく擦れ違って行く。そして主人公カミーユの精神が崩壊するに至る、この不条理な物語は、いったい何を成し遂げようとしたのだろうか。

■符丁

プレッシャーを感じる艦がある、シロッコはバスクにそう警告した。エウーゴの中核を成すアーガマと言う戦艦。この戦艦の名は、物語を読み解く鍵となる。

この物語の結論は、カミーユとシロッコの対決と言う形でつけられる。シロッコの死と共に、彼の巨大輸送船ジュピトリスが沈む。ジュピトリスの名はジュピター(木星)から付けられていると思われる。ジュピターとはローマ神話の最高神である。ジュピターは父サートゥルヌスを殺害してその座に就いた。シロッコもティターンズの親玉ジャミトフを暗殺し、指揮権を掌握した。そして絶対者の統治によって導かれる世界を築こうとする。彼は、ティターン神族と言う選ばれし神々が治める多神教の世界観を、唯一絶対の神が治める一神教の世界観に進化させようとしたと言える。

では、アーガマとは何か。アーガマ(阿含)とはサンスクリット語で釈迦の教えを意味する仏教用語である。仏教は、その前にあったバラモン教の世界観を否定する事で生まれて来た哲学である。仏典では、悟りを開いた人間である釈迦を、バラモン教の最高神であるブラフマンが礼拝する。これは、神はいないと言う釈迦の世界観の暗示である。一人一人の人間が目覚めて仏になると言うのが仏教である。

シロッコが乗るジ・オは、The Oracle(神託)の略である事から、カミーユの乗るZガンダムのZはZen(禅)の略であると思われる。神託は神から授かる絶対的なものであり、禅は思索によって自力で悟りに到達する為のものである。

ジュピトリス(主神ジュピター)とアーガマ(釈迦の教え)の対決。このような符丁を足掛かりにして、不条理な結末の意味を考えてみたい。

■神

サラやレコアは、シロッコに人類の未来を見ている。彼には理があるだろうか。

彼はヘリウム3を輸送する木星船団を率いる。戦後の混乱に乗じて自治を確立し軍備を進めた。何故そんな必要があったのか。ジオンが独立戦争を始めたサイド3は、地球から最も遠いコロニーだった。僻地ほど抑圧は厳しくなっていたのだろう。かつてマルクスは、最初の社会主義革命は民主主義と資本主義が成熟した国、イギリスで起きるだろうと予言した。しかし実際には、厳寒の地で帝政をしいていたロシアで起きた。人は抑圧に耐えかねて蜂起する。エウーゴの場合、拠点は月であり、実業家の後ろ盾で軍を組織した。しかし、火星の向こうにそんな余裕は無いだろう。『0083』では、アステロイドベルトで、同じく軍備を進めていたハマーンが一瞬登場する。この時、彼女は一言「…寒い」と呟く。アクシズに合流した兵士達が素人である事からも、エウーゴが勝っても恩恵を受けられない更に底辺の者達と思える。彼らから見ればグリプス戦役が、グラナダのブルジョアと、地球の貴族による利権争いに見えた事だろう。だからシロッコは、エウーゴも地球圏に執着している点では「重力に魂を惹かれた人々」と同じだと言ったのだ。

彼は自らが神になろうとした訳ではない。戦後の地球を統治するのは女と考えている。ただ、俗人どもが近視眼的に好き勝手をしない世界、広い視野を持った絶対者の導きで整然と進む世界を作ろうとした。この極端に「全体」へ偏った世界は、エゴを取り除くのが目的であり、あらゆる個性、あらゆる価値観が画一化されなければならない。彼は、これを品性と言った。

彼は、特別に優秀なニュータイプであった。他のニュータイプ達の力は、直感的に閃く程度のものである。しかし、シロッコは違う。自覚的にこの能力を使い、相手の心を知り望む通りの言葉を掛けて操る。運命を知り、全ては彼の予想の範囲を超える事はなく、歴史をゲームのように操作する。彼には、自分の思うように構築された未来が見えているのだ。この「絶対」と「秩序」で構築された、黙示録的なタイムテーブルの成就を阻止し得る対立者、それがカミーユ・ビダンである。

■「縁起」と「中道」

カミーユは初め、コンプレックスから来る苛立ちを抱えた少年として登場する。「子供」「感情」「個人」の代弁者として、ブライトやクワトロなどの「大人」「理性」「全体」と言う価値観に反抗する。自分の心に忠実に生きて何故いけないのか、というカミーユの主張には一理ある。しかし集団に属さなければ生きられない人間は、協調性や社会性を持たざるを得ない。戦時下では特にそれが強く求められる。ならば全体の為に個人が犠牲になる事が正しいのかと言えばそうではないだろう。この全体性が、巨大な惨禍である戦争を引き起こしている事も事実である。

一見、双方に理があるように見えるのは何故なのか?それは、その対立には厳密な区別がないからである。「全体」は「個」の集合であり、「理性」に動機を与えるのは「感情」であり、「大人」はかつて「子供」であった。これらを、対立する二つの価値観と捉えるから争いが起こる。しかし「長」と「短」が、互いを基準にしてその立場が決まっているように、ただ関係を表しているに過ぎない。「短」が無ければ「長」も無い。「明」が無ければ「暗」も無い。「上」が無ければ「下」も無い。あらゆる物質も現象も概念も、それ自体で存在出来るものは無く、様々な要素の連関の中に意味を持って成り立っている。それが成り立つ要素との関係が断たれれば、その意味として存在しなくなる。仏教の「縁起」という概念である。

この物語では、厳密な境界が無い所に「境界線」を引くと言う心理が、戦争の原因として提起されている。スペースノイドの反政府デモを毒ガスで鎮圧した「30バンチ事件」。この原因を訊かれたシャアはこう答えている。

シャア「人間は他人を信じないからさ。信じないから疑い、疑うから相手を悪いと思い始める。人間を間違わせるのさ」

アースノイドは、ニュータイプに自分達の主権が脅かされると感じ、これを排除しなければならないと思った。これが「30バンチ事件」を引き起こし、エウーゴが組織されるきっかけになった。そしてグリプス戦役が起きたのである。しかし、本当はニュータイプとオールドタイプの区別など無いとファは言った。シャアも、アースノイドがニュータイプをエスパーのように誤解していると言った。逆にライラは、作品中でオールドタイプを端的に説明している。彼女はパイロットとして誇りを持っていたが、カミーユの力を前に焦りを覚えた。そして死の瞬間、理解した。

ライラ「そうか。私が今、あの子の事をただ者じゃないと言った。この分かり方が無意識のうちに反感になる。これが、オールドタイプという事なのか」

理解の及ばぬ「他人」への反感が、互いの間に境界線を引かせる。相手を排除しようとする心理は、オールドタイプ的なのだ。先に示した「30バンチ事件」の原因と同じである。

しかしライラは、この少し前にスペースノイドとしてジェリドに道を示している。

ライラ「苛つくね、そんなやり方訊き方は、みんなあんたのやり方だろう?相手に合わせたやり方じゃあないじゃないか。新しい環境、新しい相手、新しい事態に遭えば、違うやり方をしなくちゃならないんだよ」

アースノイドは何故、宇宙が地球と違う事を理解しないのか、と彼女は言った。天井まで跳んでジェリドをかわした後なので、重力の事を言っているのだろう。無いものをあるように考えるから上手く行かない。これまで付き合ってきた女達と同じようにしても、私と言う別の女には通用しない、とジェリドを窘める。そしてライラは、この「教え」を自ら破った時に撃墜された。自分と相手を既成概念に照らして判断し、こうであるはずだ、という思い込みに囚われた。そして、その時の自分がオールドタイプ的であった事に気がついたのである。

であれば、破られた「教え」がニュータイプ的と言う事になる。既成概念に囚われず、変化する状況に応じて判断を下す。言い換えれば、対立関係の両極端を退けて、偏見なくモノを見る。物事を固定的に見るなと言う事だ。「縁起」で説明したように、対立関係を二つに分けて、その片方に組するのは誤りなのだ。これを「中道」と言う。仏教哲学の「縁起」「中道」と言う概念がもたらす現状認知の方法が、人の革新として求められている事なのである。

■覚者

グリプス2の打ち捨てられた劇場跡で、各勢力を代表する三人が世界の行く末について議論を交わす。三人は誰を王に据えるかで対立する。シロッコは「天才」を、ハマーンは「高貴なる使命を持った者」を、シャアは「人類の順応性」を。しかしシャアには葛藤がある。人の革新を信じて見守るべきか。人が宇宙の孤児になる前に、力ずくで方向修正しなければならないのではないか。シロッコは、シャアが冷静さを欠き、その手に世界を欲していると見抜いた。『ZZ』でも、セイラは野心と妄想を抱くシャアの危険性に言及している。その懸念は的中し、シャアはネオジオン総帥としてアースノイド粛清の為に隕石落としを決行するのである。後に、30バンチの過ちを彼自身が繰り返す事になる。その萌芽を既に抱いているのだ。

この時、ここに飛び込んだカミーユは、大義は正しいが、大義の為に人が死ぬのは間違っている、人の心を大事にしない世界を作って何になるのか、と主張し、シャアを「個」と「全体」の両立を模索する道に引き戻す。両極端を退けて、人の心を大事にすると言う本質的な部分を守ろうとする。この確信を持ったカミーユの態度は中道的であり、初めの頃の苛立つ彼とは全く違っている。彼はいつ、この視点を手に入れたのだろう。それは49話である。

■執着

ラーディッシュが沈んだ後、カミーユは宇宙空間でノーマルスーツのバイザーを開けてしまう。それをエマが慌てて閉めてやるシーンがある。作品中で最も不可解なこのエピソードは、何故描かれなければならなかったのか?これは仏教の悟りを考察する事で明らかになる。

フォウ・ムラサメの存在は、仏教哲学による人間観のデフォルメになっている。

人は苦悩する。「苦」は全部で8つある。生病老死(出生を選べない、老い、病、死)愛別離苦(愛する者との別れ)怨憎会苦(憎む者との出会い)求不得苦(欲しい物を得られない)五蘊盛苦(存在そのものに苦が含まれている)フォウは全ての苦悩を抱えている。

「私が誰だか分かる?分かる?!」フォウは自分を探し続ける。フォウには記憶がない。ホンコン・シティの繁華街を眺めるフォウは、街が自分にとってなんら意味を持たない事に苛立つ。世界を意味付ける過去の記憶が無いのに、現在に何の意味がある?フォウはホンコン.シティを破壊する。その時、カミーユとキスをした、唯一彼女にとって意味のある屋上のベンチが目に入る。しかし、これも苦悩を生み出すものだ。恋い慕うカミーユを倒さなければ記憶は取り戻せない。カミーユの乗るMk−?に対し「お前は私を苦しめる為に作られたのか?」と涙を流す。嫌いな人間が、好きな人間が、出生が、病が、大切なものが「苦しみ」を生み出す。

仏教では「喜楽」を欲する執着が「苦」を生むとする。「喜楽」に執着すれば、それが得られない事、失う事が「苦」になるのである。だから「苦」を無くすには「執着」を断つ。「執着」が無ければ「苦」も無い。これも先に説明した「縁起」である。

では、執着を断つにはどうしたら良いか。まず自分と世界を正しく認識する必要がある。だから彼女は「自分とは何か?」と言う部分が特に誇張されているのである。

■五蘊

自分とは何だろう。肉体だろうか。しかし、死体は自分そのものではないだろう。ならば霊や魂なのか。だが、全て脳に由来する精神活動の他に魂や霊が存在するとどうして言えるのか。

仏教では人間を構成するものとして五蘊説を採る。「五蘊」とは、物質世界から認識に至るまでの五つの段階の事である。

これはモビルスーツで考えれば分かり易い。カミーユがMk−?に初めて乗った時、自分に暴力を加えたMPを捜して脅すシーンがある。まず、Mk−?の外にMPがいる。それをMk−?のカメラが捉え、信号に変えてコクピットに伝える。それをカミーユがモニターで見て、MPと判断する。カミーユは先ほどの記憶に照らして、このMPを憎いと感じる。そして憎いから脅してやりたいと思う。そしてMPをバルカン砲で撃つのである。

このどれが欠けてもモビルスーツは機能しない。もし外にMPがいなかったらMk−?は動かないだろう。カメラが故障していたら? MPを判別できなかったら?憎いと言う衝動が起きなかったら?やはりMk−?は動かないのである。この連関が断たれれば全てが成り立たない。これも「縁起」である。人間とは認識作用の集まりなのである。

■一切

では「世界」とは何だろう。これもモビルスーツで考えればよく分かる。パイロットはコクピットから外の景色を見る。しかし、これはモビルスーツのカメラが捉えた映像がモニターに映っているに過ぎない。ロザミアがバウンドドックのシミュレータでサイコミュテストをしていたが、テストが終了してゲーツが入ってくるまで、その外が宇宙空間ではなくドゴス・ギアの一室であると言う事は、視聴者には分からなかった。ロザミアはシミュレータの外に出ればそれを確認出来るが、人間は肉体の外に出る訳には行かない。だから肉体の外側で、本当の世界がどんな風に存在するかは誰にも分からない。つまり、人間にとって世界とは、コクピットのモニターに映っているだけの世界なのだ。

「カミーユがモニターで見ているMP」これが、人間にとっての「自分」であり「世界」である。このMPが映ったモニターも含めたコクピット内で起きる全てを、仏教では「一切」と言う。これが世界の構造であり、これも「縁起」である。「自分」が無ければ「世界」も無い。逆に「世界」が無ければ認識作用は働かないので「自分」も無くなるのである。だから世界と自分の間にも境界は無いし、物質と精神の間にも境界は無い。

■空

本来、仏教では死後存在する霊魂のようなものは無い。死んだキャラクター達が霊体のように登場するのは、認識主体であるカミーユが生存しているからである。ニュータイプ達は、自分に意味の無い霊体を見ない。霊体を見るのは、カミーユがそれぞれの死を記憶に留め、その意思を考え続けているからである。彼は死んで行った者達を忘れないように、無宗教の祈りをしていた。カミーユは考える。知っていてくれる人がいるから生きていけると言う事、全ての人が分かり合えた時、死んで行った者達と再び巡り合えると言う事、そして、フォウを自分の中に生き残らせると言う事。カミーユは、母ヒルダの死後、人間の存在、生死、その関わりについてずっと考え続けている。そしてとうとう、世界と生命の関係をハッキリ理解する。

49話の最後、戦争を楽しむヤザンに激怒したカミーユの眉間から、一条の光が真っ直ぐに伸びる。これは仏典に伝えられている白毫相の光である。白毫相とは釈迦の眉間にある印の事で、白く長い毛が右巻きに巻かれて円形を成している。これが光を放ち、東方八千万の世界を遍く照らす。無限の智慧が一切の煩悩と無明の闇を照らし出すのである。

「命は力なんだ。命はこの宇宙(そら)を支えているものなんだ!」

命は宇宙を支えている。先の「五蘊」と「一切」の所でモビルスーツを例に挙げ、コクピット内で起きる全てが「自分」であり「世界」であると説明したように、「世界」は認識作用の内部に含まれている。これは、人間一人一人が皆、自分の価値観のフィルターを通した「世界」を持っていると言う事である。

30バンチを見たエマは、ティターンズと決別してエウーゴに参加する。しかし、ライラは、同じものを見て同じクワトロの話を聞いたにも関わらず、頭からデマと決めつけて取り合わなかった。「30バンチ」という一つの現象が、エマとライラには違って見えた。エマにはエマの、ライラにはライラの、自分だけの30バンチの意味がある。ただエマは、クワトロの言葉を信じるだけの経験をしており、クワトロの「世界」がエマの「世界」に影響を及ぼしたのである。こういう人間同士の連関が影響を及ぼし合って、それぞれの個性的な世界を作っている。人間は、生まれて育って子を産まなければ存在出来ない。一人では存在出来ない以上、「個」の世界が絡まりあって「全体」の世界を構成しているとも言える。命は宇宙を支えているとは、たくさんの命の関わりがあってこそ、世界が存在していると言う事なのである。

「自分」と「世界」は切り離せない。「物質」と「生命」は切り離せない。「個」と「全体」は切り離せない。あらゆるモノは、連関の内に存在している。全ては「連関」という一つのものなのに、そこに境界を引き、区別して争ったり、欲したり失ったり、全体の中の一部だけに執着して一喜一憂する事は空しい。無いものを在る様に考えるから人間は苦しまなくてはならない。確かなものなんて無い。ただ「連関」があるだけだ。全ては「空」である。

カミーユは、命は力だと言った。作品中に出て来る「力」と言う言葉はもう一つある。ジェリドが欲した力、ティターンズが求めた対立者を排除する「力」だ。この粗野な力に対抗し得る力が、宇宙を支える命の力、個が個性を保ちながら全体を構成する「力」である。

カミーユは「空」の理解に達する前に、まず生への執着を捨てなければならなかった。

彼が初めて宇宙空間に出た時、コクピットで空気漏れが起きて緊張する。そしてダカール演説より後でも、戦闘中にコクピットから宇宙空間に放り出され、無力に宇宙を漂うカミーユは、死を感じて恐怖した。グリーンノア1が、スペースノイド抑圧の急先鋒であるティターンズの基地化政策を受け入れたのも、空気漏れが続いていた自分達のコロニーを復旧させる為だった。宇宙は死の象徴であり、ノーマルスーツやコロニーは生への執着の象徴である。49話でノーマルスーツのバイザーを開けてしまったのは、カミーユが生への執着を断ちつつあった事を示している。これを経て「空」を理解するのである。彼が手に入れた世界を読み解く無限の智慧が、白毫相の光を発して、無知と煩悩によって引き起こされる戦争と言う輪廻の輪を断ち切る道を示す。エマはこの直後、人の意思を吸って力に変える事が出来るZガンダムが、戦いを終わらせる事が出来ると言って息を引き取った。

■解脱

カミーユ「目の前の現実も見えない男が!」シロッコ「さかしいだけの子供が何を言う!」

全体を見通すシロッコ、個を大事にするカミーユ。シロッコとカミーユは対決する。

全体と個、大人と子供、理性と感情、男と女、支配と共生。作品中に現れる対立は、全て男性原理と女性原理の対立である。ジ・オは男根象徴であるマニピュレーター(隠し腕)を持つ男性原理、対するZガンダムは命という属性を与えられ、カミーユと言う女性名を冠する子供が乗る女性原理である。

生命と肉体を賭してシロッコを滅しようとするカミーユ。しかしシロッコには勝ちが見えていた。Zガンダムと戦いながらも、倒した後の事を考えている。コロニーレーザーで打撃を受けた自軍を立て直す為にジュピトリスへ向かう。ノーマルスーツは着ていない。

カミーユを死者達が導く。焦りすぎだ。ジ・オとZガンダムの性能差と言う物理的な要素にとらわれるな。我を捨てろ。(俺の身体を皆に貸すぞ)

執着を持つな。一つの立場に偏るな。(生き死にこだわるから一つの事にこだわるんだ)

サラがシロッコを庇う。シロッコの立場にも一理ある。

カミーユは言う、シロッコは諸条件の中において、今日という時には居てはいけない男だ。

カツは言う。偏った頭だけで考えるな。目覚めたる者カミーユの見ているものを観ろ。対立しているものはすぐに溶け合って一つになる。男性原理と女性原理はどちらも欠ける事なくバランスを保たなければならい。

Zen(禅)の前に、The Oracle(神託)は機能を停止する。

ウェーブライダーでジ・オの腹部へ突入するカミーユ。「ここからいなくなれ!」生への執着の象徴であるノーマルスーツのバイザーが割れる。絶叫するシロッコ。

そして、この時シロッコも縁起を理解する。

「私だけが死ぬわけない。貴様の心も一緒に連れて行く。カミーユ・ビダン」

縁って起つ一方が滅すれば、もう一方も滅しなければならない。これが縁起である。

中道は対立する二つの価値観の双方を否定し止揚する。溶け合って一つになり、より高次の結論を導き出す。カミーユは広がる光を見る。この光は、物語の冒頭で彼がMPの尋問を受けた際、机の下に見たものである。また彼が「大人」を受け入れたダカール演説の後、シャトルの中でシャアが話したスペースノイドの希望の光である。この時カミーユ自身、その希望を探さなければフォウは僕の中に生き残ってはくれない、と言っていたあの希望である。フォウは、キリマンジャロで死を迎える瞬間、カミーユと過ごした時間を思い出した。彼女が渇望した記憶、自分が自分である証明はカミーユとの関わりの中で手に入れていたのである。

「カミーユ…悲しまないで。これであたしは、いつでもあなたに会えるわ。本当にあなたの中へ入る事が出来るんだから」

フォウが自分を犠牲にして守ったのは、カミーユとその中にいるフォウ自身だった。ロザミアを撃とうとするカミーユに早くと呼びかけるフォウは、アーガマのクルーの中にいるロザミアを守ろうとした。自分が関わりの中に生きているという事。カツも、サラとの間にあった境界を越えた。ライラも同じである。執着が苦しみを生み出すのは、ありもしない境界線を引いてしまうからだ。彼の眼前に、相容れない対立が一つになって止揚されるという、希望の光が広がる。ありもしない境界線が消え去り、戦争を、苦悩を、そして対立をも滅する。ファがカミーユを回収した時、カミーユは巨大な光を見続け、コクピットのハッチを開けようと叩く。精神の崩壊した彼は、『Zガンダム』の中で提起された、あらゆる対立の源を持たない存在になった。カミーユは、シロッコさえも内に包含する全てとなった。あらゆる執着から離れ、偏りの無い世界となり、争いの連鎖を断ち切った。カミーユは解脱した。

■涅槃

ララァから逃げて重力の底に引きこもったアムロと、サングラスで自分の役割を回避するシャアを目覚めさせたカミーユは、フォウの死を正面から受け止め、人が分かり合う事を阻害する、本来は存在しない「境界線」を越えて見せた。そして『ZZ』の冒頭、寝たきりのカミーユはジュドーにあの光を伝える。『Z』ではハマーンの心と接触し拒絶されたが、『ZZ』でジュドーと共にハマーンをも孤独から解放する。その後、劇場跡でカミーユが言った事を忘れたシャアは『逆襲のシャア』でオールドタイプ粛清に乗り出す。しかしそのオールドタイプさえも、敵、味方の境界線を越えて共感する。これを先取りしたのがカミーユであった。人の営みがある以上、執着を断つ事は難しい。しかし、自らが独特の個性でありながら、全体を構成する部分である事を忘れない事は出来る。そしてその個性は他者との連関で成り立っているものであり、それぞれの命が等しく宇宙を支えている。その間に境界線はない。

END